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2006年 10月 13日
■浅野真澄のつれづれなる日々 「自分ルール」
初めまして。 浅野さんのことを知ったのは、2005年の7月か8月頃。 それ以降の浅野さん出演Webラジオは大体聴いていると思います。 では、トラックバックを始めましょう(誤用かな)。 > 大人と呼ばれる年齢になると、 > 自分が子供の頃に考えていた「大人像」と、 > 実際の大人には大きな開きがある、ということがわかってくる。 これはよく言われますね。 僕自身はあまり思いませんが、感覚はわかります。 人の本質は驚くくらい変わりません。 自我が目覚めた瞬間から、僕は僕です。 > 子供の頃は、 > 大人はいつも正しくて、 > なんでも知っていて、 > 大人が「白」といえばそれは白なんだろう、と思っていた。 > だから、大人に責められると、 > 自分が悪いんだと、無条件にそう信じた。 僕には全く当てはまりません。 外界(自分の外)に正しさを求めたことがない。 法律も意見の一つに過ぎず、不適当なものは自分の中で最適化します。 好き勝手しても良い、という意味ではもちろんありません。 両親は宗教団体に所属しており、僕自身も気付いた時には入信させられていて、 幼い頃から会合等に参加していましたが、 信仰心が芽生えたことはないんですよね。 人間の本質は環境にはあまり影響を受けないということです。 「考え方が180度変わった」 という場合でも同様(温度だったら面白いかも)。 > まわりに、自分を裁く人がいないと、 > 人はときとしてものすごく手前勝手な「自分ルール」を振りかざしてしまうのかも知れない。 知識不足によるものか、本質的なものかで大きく違う。 表面に現れている分には、まだ安全側だとも思える。 > 自分の中に、 > 自分自身を客観視できる冷静な自分を、 > きちんと育てなければ。 「全て主観」 だなんて言って、客観を否定する人が多いですよね。 確かにそれは正論かもしれない。 何をどうしようが個人が考えたことは主観でしかないのかもしれない。 しかし、だからと言って、客観視する努力を放棄するのはいかがなものか。 自分の中にいくつもの視点を持てば、客観的な考えを持つことは可能。 僕は、もっと 「自分ルール」 を持つべきだと考えています。 より良いモラルを自分の中に形成してほしい、という意味。 あまりにも依存型、外界に洗脳されている人が多いと思う京子の五郎(ラブラブ)。
by pan-nacotta
| 2006-10-13 20:57
| 浅野さん
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