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2006年 10月 13日
■浅野真澄のつれづれなる日々 「カリスマ性」
浅野さんは 「ますみん」 と呼ばれたいそうですね。 間違っても 「荒鷲(あらわし)」 とか 「頭(あたま)」 なんて呼んではいけない。 ビリビリ様も真っ青のギリギリ様が降臨することになる。 さて、カリスマ性の話ですが、少し違うと思います。 カリスマは大衆を魅了する存在。 ファンでなくとも引き寄せられる魅力を持った人のことを指します。 > その人に心酔している人には、 > わたしたちには見えるものが、ときとして見えなくなる。 > 逆にわたしたちは、 > 心酔している人が感じている「何か」を、感じることができなかったりする。 これは宗教に同じことが言えますね。 心酔は催眠に近い。 自分の意志は希薄でしょう。 「何か」 を感じられるとしても、そんな状態は御免です。 どんな宗教でも、目的は “思想の統一” であり、やはり御免こうむりたい。 > まるで夜道の自転車のライトみたいに、 > あの占い師さんのカリスマ性は、 > 前方にいる人しか照らしていない。 色々な事柄に適用できるのが “真理” であり、適用できなければ真理ではありません。 カリスマ性も同じ。 前方しか照らしていないのなら、それはカリスマではない。 ただ、カリスマである必要は全くありませんね。 前方だけでも照らせるのなら大したものです。 実際にはそこに光源はない、錯覚であることが多いと思われる響子のDraw Two(UNO)。
by pan-nacotta
| 2006-10-13 21:50
| 浅野さん
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